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加藤 唐山さん・洋子さん(焼火窯)
プロフィール
加藤 唐山(かとう・とうざん)
加藤 洋子(かとう・ひろこ)
美濃焼の本場、岐阜県多治見市の窯元の家に生まれる。美濃で陶芸の修業を積み、東京・名古屋と移り住みながら、静かに陶芸ができる土地を探していたとき、隠岐・西ノ島へと遊びに訪れる。帰りの船の中で、波止集落から大きく伸びる二重の虹が見え、まるでこの土地に歓迎されているように感じたことをきっかけに西ノ島へ移住。 平成9年(1997年)に、地元の土と地元の素材を使った釉薬を用いた、隠岐らしさにこだわった作品づくりを始め、航海安全の守護神として進行を集める焼火山・焼火神社にちなんで「焼火窯」と名付けた。 平成22年(2010年)に、島根県ふるさと伝統工芸品に指定される。地元の土を使った染め物「風流染め」も手掛け、西ノ島の伝統工芸として残しながら、隠岐地域の焼き物や染め物を広める活動も行っている。
西ノ島町での運命的な出来事
どっか静かなところで、富士山なんかが見える場所で陶芸やりたいなと思ってたんですよね。でも(良い土地を探すのは)大変だったね。バブルでもう土地が高くて。ちょっと離れてると水道引っ張ったりなんかで、ものすごくお金かかるしね。そんな時に、ちょっと隠岐に遊びに来たら、すごくよくて!それで、国賀なんか見たら、いっぺんに気に入ったね。ここで陶芸ができたらいいなぁと思ってましたね。そのときまだ浦郷から出てた船から帰るときに、ここの場所(波止集落・現焼火窯)から虹が出てたの。波止から焼火山に向けて、しかも二重の虹が。あの虹の出てるあたりで陶芸をやれるといいなぁと、思いながら帰ったんですよ。そしたらちょうどこの場所を求めることできたんですね。
焼火窯ができるまで
自分でやろうということで、始めは2人だけでまず(窯小屋の)基礎づくりのためのセメント練りから始めましたね。でも素人で図面も描けないから方眼紙に、ここが仕事場で、ここが住まいでって書くしかできなくてね。でも、できちゃいましたもんね(笑)金槌も持ったことないのにね、犬小屋も作ったことなかったんだけどね。なんか面白くて、好きで。人生で一番面白かった!3年くらいかかったかな。その時が一番楽しかったですよ。なんかねぇ、夢ですよね、ロマンですよね!男のね!自分で作るっちゅうのはね。 焼火窯という名前をつけた理由は、田舎の方ではね、陶芸家のことを「窯焼き」っちゅうんですよ。偶然、この場所・焼火にも“焼き”という字入ってますから、焼く(やく)・焼く(たく)てのが、すごくいいなと思って。焼火山の麓ですし、その頃、焼火神社の宮司さんが見えましてね。「焼火の名前を借りて『焼火窯』にしたいんですけど」って言ったら「そりゃもう喜んで!」ってなって『焼火窯』にしたんですけど。ほんとは虹が出てたところだったから、虹を考えたんですけどねぇ(笑)でも結局、焼火窯になりました。宮司さんも焼き物が好きで、毎日のように遊びに来てくれてましたね。本当にいろんな人に世話になりました。
大テーブルの焼火タイルについて
こだわったのは、地元の焼き物だっていうことにこだわりましたね。地元の赤土と地元の素材からつくった釉薬だけを使ってやったんですけども。大テーブルのタイルは、摩天崖に見れるいろんな地層をイメージして作りました。いろんなな色の粘土を適当に練っていくんですね。でも練りすぎると(模様が)混ざっちゃってダメになるんですけど、ちょうど手頃なところで平らにして、伸ばして。でも、あんな長いものを伸ばすってのも難しいですけども。だからね、同じものは2度とできないです。同じ色を混ぜても絶対に同じようには混ざりませんから。そしてあのタイル1枚でも失敗すると全部だめになるんですよ。練り込みっていう手法ですね。ただ、あれだけの長い模様があるタイルは、他には無いと思いますね。私も初めて挑戦して、やりましたけども。
玄関の壁面タイルについて
玄関の壁のタイルは、最終的には400枚くらい作りましたね。地元の土で作りましたよって言ってもらえると、ありがたいですわね。地元の焼き物ですね。西ノ島焼きですよ。釉薬もなるべく自然の灰、西ノ島の杉とかカイヅカイブキとか赤土とか、そういうものを使った色合いにしましたね。焼き物はね、千年もつって言います。もう腐食することはありませんし、カビが生えることはありませんし、色があせることもありませんので。機会があれば、もう1回挑戦させてほしいですね。
弟子・後継者の問題
残念ながら、いまのところ後継者の当てはないですね。簡単な仕事じゃないんですよね。なんでもそうですけど、目には見えない下積みの仕事が多いですからね。そういうのに耐え、しかも体で覚えなきゃいけません。陶器だけじゃなく磁器のことについても、一定の知識も持たなければいけないですよね。そうじゃないと、みなさんの質問に答えられなかったりするので。一生、勉強ですね。難しい仕事って最低10年かかると言われてるでしょ。そうすると、なかなかお弟子になりますってならないし、くじける場合も多いんですけど。やっぱり陶芸が好きっていうのが大事ですよね、それと隠岐が好きってこの2つだね!隠岐がどうしても好きでここに暮らしたいっていうのが大事ですね。
風流染め
染物もやってますが、隠岐の土を使ってやってるんです。きれいな黄色や赤色が出るのは、やっぱりジオパークのおかげですよ。600万年の長い年月の間に細かい粒子になって、染物ができるっていうことは、ここでなきゃできないの。他の場所の土だと色が落ちます。ほんとに地の利、隠岐の特色・特典ですね。これはもう絶対的によそには負けないです。嬉しいですよね。この島の成り立ちとジオパークとのつながりは大きいです。なぜ色が落ちないかというと、きれいな海水で洗うことがポイントです。きれいな海水が無いと、だめっていうことですね。
(2018年5月21日焼火窯にて)
インタビューを終えて(図書館職員のひとこと)
加藤さんたちの西ノ島との出会いは本当に運命的で、ちょっとびっくりしてしまいましたね。西ノ島の土がそんなに良い土だなんて、島に住んでる人たちは想像もしてなかったですよね。島のすごさを、逆に島に住んでる私たちが教えてもらいましたね。奥さんの洋子さんも、土を使って染物をしようという発想には驚かされました! おふたりとも、西ノ島のことをとても愛していらっしゃいますが、西ノ島だけじゃなく、隠岐全体で焼き物・染物の文化を広げていきたいと考えている姿に、陶芸のプロとしてのプライドを感じました。これからも図書館として応援していきたいと思っています。
真野理佳